人々が笑顔になれる製品を作りたい。思い出を特別な写真で残す「#SnSnap」開発者 平沼真吾

2017.04.14 記者:佐藤 愛美 編集・校正:やつづか えり 撮影・取材サポート:神谷 亮平 インタビュー

SNSに投稿した写真をカードやステッカーとして出力できるフォトプリンター「#SnSnap」。今回お話をお聞きしたのは、プロダクトの開発者である平沼真吾さんです。

現在は株式会社SnSnapのCTOとして日本で働いていますが、過去にはオーストラリアの農場でトマトを収穫する傍らプログラミングをするなど、ノマドワーカーとして世界各地を訪れたこともあるという平沼さん。女性を中心に人気を博する「#SnSnap」が誕生した経緯や、平沼さんが目指すものについて、お話を伺いました。

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SNSに投稿した写真を、オリジナルフレーム付きでプリントできるサービス

はじめに、平沼さんが開発した「#SnSnap」の特徴について教えてください。

「#SnSnap」はスマートフォンで撮影した写真をオリジナルデザインのカードやステッカーなどに印刷できる装置で、イベント会場やコンセプトカフェなどに設置していただいています。ユーザーがスマホで撮影した写真を、指定のハッシュタグ付きでTwitter、Instagram、Facebookなどに投稿すると、その画像が「#SnSnap」に転送される仕組みです。

▲【左】#SnSnap  【右】#MirrorSnap

また、姉妹プロダクトである「#MirrorSnap」はカメラが内蔵されており、その場で撮影した写真を携帯電話やスマートフォンに送ることができます。東京ドームのコンコース内に設置された「#MirrorSnap」ではリアルタイムに顔に画像を合成して、読売ジャイアンツのマスコットキャラクターであるジャビット君に変身したような写真が撮影できます。でき上がった画像は、携帯電話やスマートフォンでQRコードをスキャンして受け取れるようになっています。

東京ドームではその他に「#SnSnap WALL」というSNSサービスを提供しています。『#TOKYOGIANTS』というハッシュタグを付けて写真をSNSに投稿すると、試合中のオーロラビジョンに写真が投影されるシステムです。私の写真もオーロラビジョンに投影してもらえましたが、良い思い出になりますよ。

会社を抜け出し、フリーランスになって海外へ

平沼さんのこれまでのキャリアについて教えていただけますか?

大学では情報系の学科に入り、そこで初めてパソコンの勉強をしたんです。学部卒業後は大学院に進み、画像処理やジェスチャ認識、UI研究を専門的に学んできました。卒業後は技術者として東芝に就職し、携帯電話の部署でBluetooth関連の開発等を行って、3年ほど働いた後、出向先の富士通に転籍。そこでも携帯電話に関連する部署で、GSMやLTEの規格に準じた通信関連の開発を担当しました。

僕が退職を考え始めるきっかけとなったのは、自分の好きな仕事ができているのか疑問に思った時期があったことです。このまま納得しない状態で20年、30年と仕事を続けることが、自分の幸せとは違うなと感じたのです。そして、2012年2月に富士通を退職し、フリーランスになって中国へ行きました。もともとグローバル志向があり、中国語を勉強したかったんです。その時、世間ではiPhoneやiPadなどで動くiOSアプリが使われ始めた時で、ライトなものをいくつか作って市場に出して試していくと、それなりにうまくいきました。

その後、2013年頃には開発したアプリの収益で事業が回るようになったので、日本にいなくてもいいじゃないかと思い、海外を自由に回ることにしました。

フリーランス時代に開発したアプリについて教えていただけますか。

アプリ開発は色々と失敗もしました(苦笑)。Googleのルート検索をする時に、最短距離を検索するのではなく、回り道をして景色の綺麗な場所や人気のあるレストランを検索できるアプリを作ったんです。ニューヨークタイムズでも取り上げていただいたのですが、多くのユーザーを取り込むことはできませんでした。そういった非日常的に楽しむものよりも、ニュースアプリのように、毎日使って1日の起動回数も多いアプリのほうが需要があり、投資家にも選ばれやすいのです。

その後は、実用性の高いToDoアプリや赤ちゃんのアルバムを自動生成するアプリ、お母さん向けの情報収集を目的としたRSSリーダーやパズルゲームなど、色々なアプリを作って挑戦しました。

海外ではどのような生活をしていたのでしょうか。

ヨーロッパも南米も、全部で20カ国以上は行きましたね。オーストラリアにいた時は、朝起きて農場へ行き、トマトを摘んだりハーブを育てたりしていました。昼過ぎに帰ってきてシャワーを浴びて、午後はプログラミング。夜はみんなと飲み歩く……といった生活をしていました。治安が悪い国でナイフを突きつけられたこともあります。海外はネット回線が安定していないので、ビデオ通話をしようとしたら、ホテルの回線が全部落ちてしまったこともありました。道端には手足がない人がいたり、電気がつくことが当たり前ではなかったり。日本はすごく幸せだなと知りました。そして、こういうことを知らずに生きていくのは怖いと思ったんです。

1日で作れるからやってみよう

平沼さんが日本に帰ってきたきっかけとは何だったのですか。

「Ring」というプロダクトを作っていた株式会社ログバーの社長が、Facebookでエンジニアを募集していたんです。実はその時、メルボルンでたこ焼き屋をしようと鉄板を仕入れたところだったんですが(笑)、話を聞いてみたいなと思い、2週間後に日本で面接をし、そのまま就職が決まりました。

「Ring」の開発に1年半ほど携わり、プロダクトがリリースされて落ち着いてきた頃、次は自分が作るサービスを増やそうと考えました。 そして、後に一緒に株式会社SnSnapを立ち上げることになる西垣と出会い、「面白いサービスをどんどん 作っていこう」ということになったんです。

「#SnSnap」は、そのうちのひとつだったのでしょうか。

世界規模のハッカソンである「Battle Hack」に出た時、「このアイデアなら1日で作れるからやってみよう」と、西垣と一緒に作り始めたのが「#SnSnap」でした。

最初のプロトタイプは1日で作りました。上部にはiPad、下部にはプリンターを設置し、僕はSNSに投稿されたデータを取得して印刷用の画像データに加工し、規格に合わせてプリンターに印刷命令を飛ばすプログラムを書き上げました。素材は段ボールで、ガムテープで固定しているものも見えてしまっているような状態でしたが、準優勝の評価をいただきました。

100円ショップで材料を集め、徹夜で製品を組み立てる

▲立ち上げ半月以内の初期のMVP ( Minimum Viable Product )

会社を立ち上げてみて、どうでしたか。

最初は苦労だらけでした。「Battle Hack」で準優勝をした後は、月に30件ほどの案件を捌いていたのですが、開発と経理と法務と在庫管理は僕が担当していました。クライアントさん毎のデザイン変更や日付印字、ディスプレイに表示するエフェクトの変更に加え、デジタルサイネージ用の複数のディスプレイに映像を同期させて流して欲しいという要望に応えるために専用のプログラムを作ったり、プラスチックカードに印刷してほしいという要望に応えるためにプリンターから調達し直してカスタムで製作したり、いろいろとやることが多くて大変でしたね……。

「Battle Hack」から半月も立たない頃、共同創業者の西垣が、まだプロダクトがない状態で契約を取ってきてくれました。あるクライアントさんのイベントで使ってもらえることになったんです。100円ショップや東急ハンズで急いで材料を揃え、イベント前日の深夜に筐体を組み立ててそのまま現場に行きました。上の写真の右端のものが、その時の筐体です。

イベントの当日、この筐体を見たクライアントさんは「学園祭じゃないんだから」と呆れていましたが、「今後ブラッシュアップするなら……」と笑って許してくれました。その後すぐに筐体をブラッシュアップして、そのクライアントさんの他のイベントでも使っていただけました。

初期と比較して現在のプロダクトはクオリティがだいぶ向上しましたが、基本的な構造に大きな変化はありません。組み立ても初期のつくりを踏襲しています。最初は自分たちでアクリル板をボンドで固めて、スライド式がいいのか磁石がいいのかなどと話し合いながら作っていましたが、今は業者にお願いしています。

株式譲渡を行う前後で会社に変化はありましたか。

ありましたね。もともと自己資金でやっていたんですけど、すごく苦しい時期もありました。「#SnSnap」を10台作ろうとすると、プリンターだけで300万円の初期投資が必要になります。さらに、それを覆うカバーの製作を業者に頼んだり、筐体に入れるiPadやノートパソコンも必要です。すると、1台作るのに60〜70万円。クライアントさんに請求できるのは製品を納めてからですから、それだけの費用を先に自己資金で支払う必要があるんです。

人を増やすこともできず、エンジニアもずっと僕1人でした。メンテナンスやすでに動いている案件の対応でいっぱいいっぱいで、新しい相談をもらっても対応することができない。この状態では大きな勝負に出られないので借入をしたほうが良い、と会計士さんからアドバイスがあり、同時に投資の話も進んでいきました。ニューホライズン キャピタル 株式会社さんが良い条件で投資をしてくれるとのことだったので、事業のスケールアップのためにも株式譲渡を決めました。また、その時は社員が7、8人に増えていたので、社員の生活を守っていかなくてはいけないという思いもありました。

みんなが笑顔になれるものを作りたい

今後はまた海外に行くことを考えているのでしょうか?

そうですね。行ったことのない国に行って語学を勉強したり、もっと色々なことを知りたいです。やりたいことがいっぱいありすぎて、気がつくといつもメモをしています。どこにいようとあまり関係なくて、ここでできることはここでするし、できなければ他の仕組みを作ります。開発の面でも、トライしたことがない技術に挑戦したり、人が喜ぶもの、驚くものをどんどん作りたいと思っています。

事業としては、社員みんながハッピーで、100年続く会社を目指したいですね。属人的な会社ではなく、誰がいても回る会社でなければ100年は続かないと思います。今はSNSに関連したサービスを展開していますが、100年後も必要とされる普遍的なものなど、もっと深堀をしていきたいですね。

最後に、平沼さんの信念を教えてください。

僕は笑顔フェチなので、とにかく人が笑顔になる製品を作りたいんです。この仕事のメリットは、イベント会場に実際に行き、製品を使って喜んでくれている人の笑顔を見られることです。

佐藤 愛美

100円ショップの材料と段ボールから始まった製品開発のエピソードをお聞きし、平沼さんの熱意を感じました。まさに、人々の笑顔の瞬間を捉え、さらに笑顔を増やしていく「#SnSnap」は、平沼さんの「人の笑顔が好き」という思いが形になったものなのでしょう。今後は、どんな製品が登場するのか楽しみです。

- WRITER PROFILE -

首都圏を中心に取材・執筆を行うフリーライター。福祉業界で働いていた経験を活かし、人の代弁者となり魅力を引き出せるような記事作成を目指している。

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